TAKARAZUKA MANIA

タカラヅカ歴長めと短めが2人が勝手に書き放題なブログです。

雪組『ファントム』ベラドーヴァの肖像画の話

一つ前のぶぎまるさんのブログを受け。
エリックの部屋にあるベラドーヴァの肖像画について。

そもそもの発端は、
初めて二人で観劇した際にぶぎまるさんが
「あの肖像画は少しでもひらめちゃんに寄せるべきじゃない?」
とおっしゃったことからでした。


それを聞いた私。

「え?

あれってクリスティーヌじゃないんですか?」

 


そう。
お恥ずかしいのであまり言いたくないですけど
私はあの肖像画を、クリスティーヌの肖像画だと思っていました。

なんなら、従者の絵画担当の誰かにエリックが描かせたんだろうな
という妄想までしておりました。
ちなみに私の妄想では諏訪さきさんでした。
(それダヴィッドや)


いやだって完全にきいちゃんの肖像画だし。。。


その会話の後の観劇で、
キャリエールが肖像画のことを「エリックの母親」だと説明してるのを聞いて、

おいおいおいおい
自分は今まで何を聞いてたんだ
マジで耳節穴かよ

と軽くショックを受けたのでした。


で、まあこの時は、
なんで私みたいな耳節穴な人が視覚で誤解しちゃうようなことしたんだろー
くらいにしか思わなかったんですが。
(勝手に勘違いしたくせに)

 


今回、宝塚初体験の母を初めてムラに連れてったんです。
わざわざ母を連れてくならこれしかない!くらいの感じで。

私の想像より楽しんでくれてたし、
初めて親子で感想を言い合えたのもなんだかうれしく。


私、クリスティーヌに逃げられてしまったエリックが泣き崩れるシーンの、
望海さんの演技が大好きなんですね。


望海さんの言うところの、
「大人の部分と子どもの部分を併せ持つ」エリックの「子どもの部分」が、
これでもかと露呈する感じ。


まるで初めて水面に浮かぶ自分の顔を見た
幼き日のエリックとシンクロするようでもあり、
鳥肌が立つんです。


で、うちの母はそのシーンの望海さんの演技が「違う」と思ったと。

お?
論争勃発か??

とファイティングポーズをとったのも束の間。

「だってあれじゃまるで子どもみたいじゃない」

と。

 

 

 

演技に対する私と母の解釈違いじゃなかった。

そもそもうちの母の「オペラ座にいる怪人」像
と望海さんの役作りの相違だった。


これはもう単純に観る側の人間の好みの問題なのでいかんともし難い。

私の場合は舞台を観る事前情報の段階で、
演じるご本人が「大人の部分と子どもの部分を併せ持つ」と語っている記事やらを読んでいたので、
ハナからそのつもりで観ているし、

本当にその通りのエリックで感動したのだけど。

 


そんな母との会話にもやもやしながら、
(いかんともし難いとか言いながらしっかりもやもやする。笑)

ふと、ぶぎまるさんとの会話を思い出したわけですよ。

 


もしもあの肖像画が朝月希和さん(ベラドーヴァ)に似てたら??
というかせめて誰にも似てなければ??


キャリエールの話もちゃんと聞かずに
勝手にクリスティーヌの肖像画と思い込んでた自分を棚に上げますけども。


エリックに子どもの部分が残っていることの最大の理由は、
母性への執着だと思うんですね。

ベラドーヴァがエリックにかけた愛情の深さというのも、
ひらめちゃんの狂気すら感じるお芝居でとてもよく表現されてると思いますし。

 

2幕冒頭のエリックストーリーをふまえると、
エリックが未だ子供の部分を持つ大きな理由付けとして、
あの肖像画がものすごく生きてくるはずなのではと思うのですよね。
本来。

 

でもどこからどう見てもクリスティーヌなわけで、
「あれはベラドーヴァの肖像画だ」
と言い聞かせて見ても、
想像力というか転換力の限界があるのですよ。

少なくとも私の場合。

 

だからひらめちゃんに似せられないのなら
せめて演者の誰にも似てない方が、
まだ想像力もはたらくのではと思ってしまいます。

 


まあ観劇するお客さんの全員が全員ジェンヌの顔を把握してるはずもなく、
肖像画がひらめちゃんのお顔になっても、
「ベラドーヴァ役の人」と一致しないということは当然あると思いますが。


少なくとも、
どこからどう見てもクリスティー
な絵でなけれは、

エリックの"母性への"執着の象徴として説得力を増しただろうし、

子どもの部分が残るエリック像もより強調されただろうし、

クリスティーヌに拒絶された際のエリックにしっかり繋がるのではないかと。

 

 

そもそもいろんなことが見当違いと言われるともう何も言えませんが。
そんで小言というか文句みたいになってしまいましたが。

 

これ結構勿体ないんじゃないか。
ここ変わったらこの作品がもっと素晴らしいものになるんじゃないか。


そんなふうに感じたというお話でした。

 

 

(あくまでぶぎまるさんきっかけですし、

私がいかに注意力散漫に観劇してるかということを露呈しただけの感ある。)